私がドMな肉便器メイドになったきっかけを告白します。
私が幼い頃に母はお父さんと離婚し男と駆け落ちしたの。
弟二人と私の子供達3人を残して。
そんな私達を祖父は育ててくれたけど、
日に日に母に似て行く私を祖父はいやらしい目で見始めた。
小6の夏休みにその時は来た、
弟達がそれぞれ親戚の家に遊びに行くなどで家を空けていたの。
その夜、祖父と二人きりになり、
お風呂からあがると能面の様に冷たい表情の祖父が突如襲いかかって来た。
何が起こっているのかわからぬまま私は「やめて!」って抵抗したけど、
何が起こっているのかわからぬまま私は「やめて!」って抵抗したけど、
大人の力に敵うはずもなく、祖父のねちっこい愛撫を受け入れざるを得ませんでした。
オナニーを覚えたばかりの私の体が意思とは反対に反応し始めると、
祖父は「絵理奈は母親譲りの淫乱だな」と私を蔑み罵り、
祖父は「絵理奈は母親譲りの淫乱だな」と私を蔑み罵り、
その太い肉棒をなんの躊躇もなく私の性器に挿入しました。
余りの痛みに泣き喚く私の口をおさえて嬉しそうに腰を振る祖父。
そして、あそこから血を流す私の性器の奥深くに祖父はドクドクと射精しました。
もう初潮もとっくに来ていたのを知っていたのに中に大量に精液を出したの…。
その夜から私と祖父の異常な関係は始まりました。
初めて祖父の太い肉棒を受け入れたその夜は、
祖父が私から体を離した後も痛くて痛くて一晩中泣いていました。
次の日は日曜日で祖父は休み。
次の日は日曜日で祖父は休み。
朝から祖父は狂った様に私を求めてきました。
その日は夕方までに4回祖父に抱かれ、
その日は夕方までに4回祖父に抱かれ、
私のあそこは白いどろどろとした精液であふれてしまいました。
夏休みが終わるまでに、
40回くらい祖父に体を嘗め回され、
両足を開かせられ祖父の獣欲を満たす道具にされました。
初めのうちは何度か生中出しだったけど、
初めのうちは何度か生中出しだったけど、
祖父もさすがに妊娠はまずいと思ったらしく、
その後はゴムを付けてSEXするようになりました。
それから5年…。
それから5年…。
いつものように祖父は私の上に乗ってきました。
そのとき、気がつくと、中2と小6の弟が私と祖父の行為をそうっと見ているではありませんか。
私との行為が終わったあと、祖父が弟達に発した言葉が今でも耳から離れません。
「おまえらもするか?絵理奈は貧乳でガリガリだけど、あそこの具合がいいぞ!抱いてみろ」
その後は、想像どおり悪魔の時間でした・・・
弟達にかわるがわる抱かれ2回づつ計4回、弟達のおちんちんを受け入れイッてしまいました。
私との行為が終わったあと、祖父が弟達に発した言葉が今でも耳から離れません。
「おまえらもするか?絵理奈は貧乳でガリガリだけど、あそこの具合がいいぞ!抱いてみろ」
その後は、想像どおり悪魔の時間でした・・・
弟達にかわるがわる抱かれ2回づつ計4回、弟達のおちんちんを受け入れイッてしまいました。
その行為を見ていた祖父は「絵理奈はやっぱり母親譲りの淫乱だな」とゲラゲラ笑っていました。
それから毎晩、祖父と弟達に代わる代わる抱かれる日々が続きました、
そして半年後、祖父か弟達のうちの誰かの子を妊娠してしまいました。
私は中絶した後に奇行が目立ち始め、
そして神奈川県立精神医療センター芹香病院に入院させられました。
数ヶ月の入院生活を経てようやく退院。
退院後は祖父や弟達は私を気味の悪い者でも見る様に避ける様になりました。
祖父や弟達に抱かれる事は無くなりましたが、
祖父や弟達に開発された淫乱なカラダが疼くいてくる様になりました。
そして私は外で男を漁り自らの性欲を満たす様になってしまいました。
その間に何度か性的非行行為で警察にお世話になったり、
横浜市西部児童相談所にもお世話になりました。
こんな自分が嫌で助けを求めた時にブログで出会ったのが優作さんです。
しかし、私は精神異常者で淫乱な女。
彼はまともな人…。
まともに結ばれる訳がありません。
そして、優作さんと少しでも近づきたいが為に、
実の父親を探し出して近づき利用して騙して多額のお金など巻き上げました。
しかし、そんな非道な行いが優作さんにバレてしまい。
人間的に嫌われてしまいました。
当然ですよね、関係の無い実の父親を巻き込んだんですから。
もちろん、実の父親にも見捨てられました。
私はすべての人間が嫌いです。
汚い大人は大っ嫌い!
今はうまい事騙して利用している東京都の自立支援施設にいます。
だって、一ヶ月の寮費が数千円なんですもん。
当然ですよね。